仕事がデキないのも、ギフトである

セミリタイア

以前の記事「仕事が忙しいのは、ギフトである」にて、仕事が忙しいということは、経済的自由を達成するためのギフトであるということを述べました。

仕事がデキないのも、ギフトである

どんだけプラス思考なんだというツッコミが来そうですが、私は、「仕事がデキない」ということも、ギフトであると考えています。

私は、会社ではエンジニア職として働いているのですが、記憶力に乏しく、また、どこか抜けたところがあります。プライベートであれば、おっちょこちょいな人、で済むのですが、仕事においては致命的な問題です。

私も、新人の頃や、経済的自由といった考えのない頃には、自分の弱点を補うだけの努力をして頑張ろうと考えていました。ですが、今は考え方が変わりました。

私は気づいてしまったのです。私がショボくて仕事ができないのは、仕事をやり続けていても幸せにはなれない、という神様からの啓示であるということに。

自分で仕事ができないと思っている方へ

私のように、仕事において自分で自分に自信がなく、ミスばかりしてしまうという人。気持ちはよくわかります。結構ツラいことですよね。

それは、周囲はそう思っておらずあなたがそう思っているだけかもしれません。

ですが、あなたが自分で仕事ができないと感じているということは、その時点でもう大きなギフトを得ていると考えることはできないでしょうか。

仕事があなたに現在の状況を何か変える必要があるのだと教えてくれているのです。

自分に自信が持てないというのはツラいことですが、日々の仕事から、こういった学びを得られた、ということは素晴らしいと今では思えます。

大切なのは気付きを与えてもらえたことに感謝し、それを無駄にしないために行動することだと思います。

前述の通り、私を含む、自分は仕事がデキないと思う人は、ギフトを与えられています。

そのギフトをどう受け取るかは我々次第だと思います。大多数の人は、それをギフトだと認識することはできずに苦しみ続けることになります。

私はちゃんとギフトを受け取り、活かしていくことに決めました。

まとめ

仕事が忙しいこと、仕事ができないことは、神から与えられたギフトと考えることもできます。そう考えると、仕事は辞めてしかるべきと考えられないでしょうか。

私は別に宗教にハマっている人ではありませんが…、完全に宗教の考え方ですねこれは。

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