こんにちは。経済的自由を目指しつつサラリーマンをやってます、ウィルフリーマンです。次回の海外出張が決まり、より早く仕事を辞めたい想いを新たにしている今日このごろです。
社会人である以上、ハードな時期はある
社会人は多かれ少なかれ、仕事がハードな時期があると思います。私はセミリタイアを目指しているくらいなので、仕事を定年まで続けるつもりはありません。
以前の私は、いわゆる典型的なマジメ一辺倒の会社人間で、仕事を振られては、それらに正面から取り組み、成果をあげなくては、と考えていました。
残業して必死になって積まれた仕事を片付けていました。今になって思い返すと、そのせいでストレスをため込んだり、わけもなくイライラしたりしていましたね。
当時の自分には、「そんなにがんばらなくていいんだよ。どうせ辞めるんだし。」と教えてあげたいです。
ただそうやってがむしゃらに働いているときには、自分の姿を客観的に見ることは難しいのですよね。
私の仕事は自分にとっては忙しすぎると思っているのですが、たまに会う友人や同期の話を聞くと、私よりハードな業務を課せられている人はいます。
仕事がヒマだという人もいなくはないのですが、忙しい時期がないという人には出会ったことがありません。やはり、現代人が忙しいというのは本当のことなのでしょうね。
忙しい時期に何を想うか、が肝心
仕事が忙しい、イライラする、という状況は、サラリーマンであれば誰しもが経験したことのあるところかと思います。ただ、その忙しい状況で何を想うかが大事だと思います。
たいていのサラリーマンの方はおそらく、「このクソ忙しいのにさらに仕事を振りやがる上司や先輩」にイライラしたり、「思い通りに動かない、非協力的な同僚や部下」にストレスを感じ、その人たちのせいにします。
あるいは「この仕事を片付ければもうすぐ連休だ」とか、「家族のためにも私が頑張らないと」とか、「もうすぐボーナスだ」といった、目先の楽しみや第三者を理由にして耐え忍ぼうとします。
社会人が多忙でつぶされそうになったとき、本来想うべきは、「なぜ私はこのような環境に身を置いているのだろう。早く仕事を辞めるために行動を起こさなければ。」が正解だと思います。
仕事が忙しいことを他人のせいにしたり、目先の楽しみだけを見て、忙しさを受け入れてしまっては、一生その忙しさがなくなることは無いのではないでしょうか。
仕事が忙しいなら、それを受け入れるだけではなく、その状況を根本から解決するために何か行動を起こさないと、忙しさが勝手に和らぐとは思えません。
むしろ忙しさを受け入れた分、こいつはまだいけると判断され、次はさらに仕事を振られる、というのが、私の会社経験からも言えることだと思います。
会社組織でトップを目指す、という指向の方ならそれでいいでしょうが、私のような、会社内での地位などどうでもいい側の人は、ただしんどさが増していくだけです。
忙しさはセミリタイアへの情熱を高めるギフト
毎日忙しいみなさん、仕事が辛い、会社に行きたくないというみなさん。私も含めたそういった方々は大きなギフトを得ているのです。
忙しいということは、忙しければ忙しいだけ、仕事を辞めたくなる動機が強くなるということを意味します。
本当に忙しい時にしか、その忙しさを根本から解決するために行動しようという決意は生まれないと思います。
のらりくらりとできる楽な仕事ばかりだという人が、仕事を辞めて自由になりたいという強い情熱を持つでしょうか?
仕事が忙しく、辛く、低賃金で、厳しい労働環境で働いている人ほど、セミリタイアへの強い情熱を持つことができます。つまり、仕事が辛いということは、セミリタイアに向けた大きなプラス材料なのです。
ただもちろん、忙しい状況から何も行動を起こさず、その状況に甘んじていては、せっかく与えられているギフトを捨て続けていることと同じです。
私も仕事で忙しい、辛いと思うことは毎日のようにありますが、そのたびにギフトを生かし、セミリタイアに向け日々精進が必要だと思い改める次第です。
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