経済的自由に達するための条件として、倹約家であることは必要条件だと考えています。
支出を上回る十分な収入があればいいじゃないか、という考え方もありますが、このご時世、十分なだけの収入を得られる人が果たしてどれだけいるでしょうか。
また、収入が増えるとその分税金や支出まで増えてしまうものです。
支出の額は収入の額に達するまで膨張する
非常に有名かつ印象的な法則に、パーキンソンの法則(第二法則)というものがあります。
それは、支出の額は収入の額に達するまで膨張する、という法則です。
具体的に言うと、年収200万円の人がギリギリの生活をしていたとして、年収が上がり400万になり、800万になったとしても、その収入と同レベルの支出水準まで生活レベルや消費傾向が変わってしまう、という法則ですね。
確かに、人間の考え方として思い当たるところがありますよね。
年収が上がったから、今より少し良いところに住もう。たまに旅行にも行こう。
また年収が上がったし、ボーナスも出るから、家を買おう。車も買い替えよう。海外旅行にも行けるな…。趣味にもお金を使えるな…。
なんだか、想像に難くない、よくある考え方ですよね。
ですが、私は割と家にも車にも旅行にもあまり興味が無く、パーキンソンの第二法則に当てはまらない状態で社会人を10年ほど続けてこれました。
そして、セミリタイアを目指すようになった今、この「浪費家ではない」という特徴が大きな力を発揮しているのです。
浪費しないということは、当然お金が貯まる
当然のことではありますが、浪費しないということは、お金が貯まります。
FIREを目指すようになってからは、より倹約道を歩み始めたわけですが、これまでに貯めてきていた資産がある程度あるということは大きいです。
現在、株式にてある程度の資産を運用していますが、ここまでの10年、浪費家であったらこの貯蓄は無いと思います。
現在2020年ですが、私は2年前までセミリタイアやFIREという概念を知ることもなく、仕事はツラいと思いながらも、一生自分はサラリーマンを続けるものだと思っていました。
FIREすると決めてから、経済的に意外と自分はそれに向いた環境にいるのだということに気づいたのです。
もし会社に勤めてから10年間、浪費生活を続けていたら、FIREしたいと思ってもそこでゼロからのスタートとなってしまいます。自分が浪費家でなくて本当に良かったと思います。
逆に、まだ貯金や資産がなく、これからFIREを目指そうという場合でも、浪費家であることで何も良いことはありません。倹約しておくことに越したことはないのです。
浪費、それは選択の末の決定だろうか?
FIREしうるという選択肢を知ったうえで、それでも浪費するのが好きで、それが幸せだという価値観なのであれば、人が口出しするところではないと思います。
ですが、この現代に生きる人は、FIREする選択肢を知らないまま浪費しているという人が多いのではないでしょうか。それはあまりにもかわいそうだと感じてしまいます。
FIREすることができるという可能性を知らないまま浪費をしていると、将来、仕事がしんどくなって、FIREを目指そうとすることがあったら、まず貯蓄をするところから始めなくてはいけなくなります。
そして、なぜ自分はこれまで浪費をしてきてしまったのだろう。FIREできるかもしれないと知っていれば、意味もなく浪費せず貯蓄したのに…。と後悔するに違いありません。
浪費するということは、FIREの芽を摘んでいるのだということを認識したうえで浪費している人は、果たしてどれほどいるのでしょうか。
浪費を浪費と認識していればまだ良いかもしれません。この資本主義社会において、浪費する人には浪費だと思わせないような売り方がとても多いのです。
そして、この資本主義社会は、浪費する人がたくさんいることで成り立っているので、それを教えてくれる人は誰もいないのです。
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